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24.嶋田宿 大井川駿岸
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宿場
東海道五十三次
24.
島田宿 大井川駿岸
歌川広重
天保3〜4年(1832〜33)

島田宿の現在の風景

写真・文 冬冶様(掛川市)
撮影    2001/1/18

旅人の一行は島田宿の川越場から金谷宿にむかつて川を渡り、先頭は 中洲に達している。中洲を過ぎるとまた大井川の流れがある。渡っているのは、 大名行列のようで旅人たちはその後をついてゆく。

      文・ 冬冶様(掛川市)

目次
大井川川原にあった川越場に至る土手の手前の旧東梅道には、当時の川越を 取り締まる川合所のほか、川越人夫の詰め所、一番宿、仲間の宿,札場など が保存されている。




島田宿の見どころ



 今の嶋田市の中心商店街が旧東海道です。ここを通り 大井神社(当時は大井大明神)をすぎて西へ進むと、 大井川の川越場へ到ります。 嶋田宿には、本陣3を数え、大雨による川留めになると 嶋田女郎衆のいた旅篭屋48軒はおおいに繁盛しました。
 こんにち、川越え遺跡のほかは、当時の建物は、なにも 残存せず、本陣のあった所も不明の様です。
                    (文: 冬冶(掛川市)様



島田宿髷まつり

写真・文  冬冶(掛川市)様
2002/4/2撮影 


島田宿の帯まつり

写真・文  冬冶(掛川市)様
2001/10/14撮影 

     
島田宿の川越しまつり

写真・文  冬冶(掛川市)様
2002/3/31撮影

元禄の絢爛豪華な行列を今に伝える、3年に1度の大絵巻、 日本三奇祭のひとつ、島田宿の帯まつりが、12,13,14日の 3日間行われ、島田市の大通りを大名行列がつつ゛き、見物 の人であふれ、通りは歩けないくらい賑わいました。
 始まりは元禄八年(1695)、大井神社の祭式神事にのっとり、 神輿の渡御が行われ、代官はじめ一般町民がつつ゛いたが、その後 大奴の供奉や鹿島踊りが加わり、やがて大名行列も加わって、繁栄、 豊穣の願いをこめて、約300年間元禄絵巻を繰り広げてきました。
 島田大祭が帯まつりと言われるとおり、25人のひげの大奴が両脇 にさした大木太刀に、安産祈願の豪華な丸帯を華麗につるし、左手 に蛇の目傘をさして、ゆったりと舞う様に練り歩きます。  豪華な丸帯を木太刀に飾って歩くのは、よそから嫁にきた花嫁が、 晴れ着姿で大井神社にお参りしたあと、晴れ着のままで町並みを 披露して歩く慣わしがあり、それも気の毒だということで、その かわり女の命とも言われる帯を、大奴の木太刀に飾ってもらい 町並みに披露をするということで、この帯の披露が大祭に加わって あでやかな催しになりました。



島田宿の現在の風景

写真 冬冶(掛川市)様
2001/1/18撮影 

      金谷側から島田を望む

写真 冬冶(掛川市)様
2001/1/18撮影
 
 今は川越場付近の川原は公園になっています。当時のままに再現する川越ま つりが催され、大勢の見物客で賑わうのですが、今年平成13年は別の大祭、 島田帯祭りがあるので、ないそうです。
 浮世絵の島田は,行列が中洲に渡るところを描いておりますが、生憎中洲は 枯草に覆われて、その向こうの金谷側の流れはみえません。金谷側から描い た行書版や教書版がありますが、丁度同じ角度でとりました。浮世絵と同じ ように雪を頂いた白い富士山がみられます。



大井川川越しの料金

写真・文   ねこ虎様(北びわこ)
撮影     2001/1/31

      川越え遺跡から大井川を写す

写真・文   ねこ虎様(北びわこ)
撮影     2001/1/31
 
左脇通は4尺5寸の水深.川幅が広い時は二文刻みで料金が加算された。
 この料金は享保年間のもの。慶応三年では股通で百三十六文と高くなってい る。 肩車で一人四十八文(750円ほど)。 ( 享保年間の白米一升40文、酒一升88文、大工手間一日120文)


川幅1Km、急な流れの川を渡る手段として、川越制度が確立し、その遺跡が島 田宿にだけ残っている。
 川原町には川会所・川越人足の待機する一番宿・川札を換金した札場などが復 元されている。




狂歌で下る東海道五十三次


    嶋田より藤枝岡部宇都山の蔦の細道とうだんごあり

 嶋田宿(静岡県島田市)は大井川の駿河側の渡し場です。金谷宿と同様に裕福な宿場です。大名行列の渡し賃は数百両にもなり、川留めが続けば旅籠などに落ちる収入は莫大なものになりました。そのため、祭などもたいそう派手で、大井神社の帯祭りは、日本三大奇祭の一つになっています。娘の髪型の代表である「島田髷」もここが発祥の地といわれています。結婚式のときの文金高島田もその変形です。名物は浄瑠璃『生写朝顔話』にちなむ朝顔饅頭・朝顔蕎麦など。
 嶋田宿から二里余り、藤枝宿(藤枝市)です。宿の西方に田中城があります。日本唯一の円形の城だそうです。名物は染飯・きつね膏薬など。
 藤枝宿から二里たらず、岡部宿(静岡県志太郡岡部町)に到着。山間のちいさな宿場です。千体仏造像を発願して全国行脚した遊行聖、木喰五行の彫った木像がこの宿の光泰寺にあります。
 岡部宿を過ぎると、難所宇津の谷峠道です。また、書くのを怠けて、松井章之の『参府日記』を引用します。
 「岡部の宿にて江戸屋次郎右衛門宅に小休、是より八合計行、宇津の谷峠に懸り、此処歩行也、下り坂の行詰に茶や四五軒有、此内に御羽織屋忠左衛門とて太閤の御羽織を所持の者あり、此辺に業平東行の時、伊勢物語に有る夢にも人に逢ぬ成けりと詠ぜし蔦の細道有」
 「蔦の細道」は戦国時代までの道で、江戸時代の東海道筋からそれた所にあります。
 宇津の峠を歩いていると、家々の軒先に白いブドウの房のようなものが下げてあります。十団子です。小さな団子を十個麻糸に通して、九連まとめたものです。昔、この峠にいた人喰い鬼を、旅の僧に化した地蔵菩薩が杖で突き、十粒の玉にして飲み込みました。それから宇津の谷峠の人たちは、魔除けのために十団子を軒に吊るすようになりました。そして峠に地蔵を祀ったということです。(今、この地蔵菩薩は麓の慶龍寺に移されています)峠道の茶屋でもこの団子を十個ずつ柄杓ですくって、食用として旅人に供します。この地で許六は「十団子も小粒になりぬ秋の風」の句を詠みました。この句は師の芭蕉にたいそうほめられたそうです。わたしもここで一句。「政治家も小粒になりぬ飽きの風」。ほとんど盗作。ではまた。

寄稿 八代市 ちくたく凡様