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12.三島宿 朝霧
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宿場
東海道五十三次
12.
三島宿 朝霧
歌川広重
天保3〜4年(1832〜33)

三島大社

写真 二宮銀次郎様(小田原市)
撮影     2000/12/10

三島の宿は小田原と共に、箱根を越える者にとっては大切な宿駅であった。図では、三島大社の鳥居を右より描き、その前を朝霧に包まれて過ぎ行く駕籠と馬上の旅人を描く。

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現在の国道1号線は車通りが少なく、道沿いの三島大社は時代が変わっても鳥居があるため、よく目立ちます。
現在でも三島大社は参拝者が多く、市民の憩いの場になってます。

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狂歌で下る東海道五十三次


  三嶋なる神の御池の鰻にハ手をたゝきよせ餌養(エカイ)する也

 沼津から、駿河国と伊豆国の境の境川を渡って三嶋宿(静岡県三島市)に着きます。まずは三嶋明神(大社)参詣。大山祇神と事代主神を祭神とする伊豆国第一の宮で、源頼朝はじめ多くの崇敬を集めた大社です。境内に神池があります。手をたたけば鰻が寄ってくるとは初めて聞きました。昔は鰻ものんびりしていたのですね。例によって天保十二年の『参府日記』の記事を引用します。
 「今朝出立前三嶋本陣樋口伝左衛門え逢、左候て六つ半時分同所出立、本陣案内ニて三嶋明神鳥居前より下乗いたし社内致見物候、右社内の泉水に鯉・鮒余計ニ居、天王寺花を投候へハ数千の魚出ル、夫より六七丁入込、富士の水を其処ニ噴出し候由ニて清水有之ニ付、是又見物候処、熊本水前寺の水位の事ニ候」
 松井章之が見たのは小浜池ではなかったでしょうか。三島は富士の湧き水があちこちに噴出し、水の豊かな町です。(近年は工業用水の汲み上げで、水量も減っています) 江戸時代の俗謡に「富士の白雪朝日で溶けて、溶けて流れて三島へ落ちて、三島女郎衆の化粧水」というのがあります。後に、有名なノーエ節(農兵節ともいいます)のしり取り唄の基となりました。名物は、明神の社家である河合家から出された三島暦、蒲鉾など。
 箱根峠に向かって歩を進めていくと、富士見平があります。このあたりで芭蕉は「霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き」という句を作りました。富士山の美しさを逆説的に表現しています。広重の「三島 朝霧」の絵もこの句の影響があるのかもしれません。さて、いよいよ天下の険箱根越えです。ここで深呼吸をして、ではまた。

寄稿 八代市 ちくたく凡様