広重の行書版では、宿場の西を流れる瀬戸川の歩渡しをえがいている。 自分で歩いて渡っている人も、人夫をやとって渡ってゆく旅人も見られる。向こうの家並みは藤枝宿、従って,嶋田宿
方向から渡ってゆく姿である。 この画像は現在、瀬戸川にかかる瀬戸川橋で、浮世絵に見るように、 この付近を渡っていったのだろう。向こうが同じく藤枝宿である。
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隷書版では、夕立に降られて松並木の下を行く旅人、駕篭かき 人足をえがいている。遠くに見えるのは田中城で、家康がここで食べたテンプラに当たって、それがもとで
亡くなったといわれている。
現在は城は堀を残すのみで、旧東海道から望むべくもない。 ただ、二の堀にかかる木橋は残っている。本丸跡は小,中学校が建っている。なお、城の南東隅にあたる所に
下屋敷が,田中城ゆかりの建物を移築してあり、往時の面影を偲ぶことができる。
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