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15.吉原宿 左富士
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宿場
東海道五十三次
15.
吉原宿 左富士
歌川広重
天保3〜4年(1832〜33)

吉原宿の現在の風景

写真 二宮銀次郎様(小田原市)
撮影     1998年秋

此の絵では富士山を左側に描いている。左富士神社の前から 街道は右え右えと辿り平家越碑のある附近までが左側に 富士山が見えることで名所に成っている。 神社の名前に なった所以でもある.松並木を三宝荒神の乗り方で馬に三人 が乗り馬の足には藁沓をはかせている.。右の山々は箱根か 伊豆であろうか。
      文・おーさん様 (三郷市)

目次
富士市吉原で現在は紙の工場が立ち並んでおります。
江戸から京都に上がる時は右の方に富士山を見ながら行くのであるが、宿場が内陸に移ったため、富士山を左に見る北向きの道である。

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吉原宿の見どころ

名勝 左富士の看板

写真・文  二宮銀次郎様(小田原市) 
撮影日時   1998年秋  

富士市吉原で現在は紙の工場が立ち並んでおります。




狂歌で下る東海道五十三次


    絵に写す富士の高根ハ是や此雲間の雪を見てぞ驚く
    田子の浦三保の松原浮嶋や真白に見へる時しらぬ
    澗川富士の雪酒吉原や原浮嶋のうなぎかばやき


 東海道を初めて下る旅人にとって、富士山を目にしたときの感動は言い知れぬものがあります。ましてやそれが目近に迫ってくるこの辺りの風景はなおさらです。狂歌(道中歌)の作者はその感動を素直にこれらの歌に表しています。古今富士を詠んだ詩歌は数え切れないほどあります。山部赤人は「田児浦ゆ打ち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降ける」と、海から見た富士を歌っています。
 このあたりは風景ばかりでなく、歴史物語や伝説も豊かです。「立つ鳥に後を濁して平家逃げ」と川柳子から皮肉られた富士川の戦い。「貧乏も曽我ほどすれば名が高し」とたたえられた、頼朝の富士の巻狩のときの曽我兄弟の仇討ち(静岡県富士宮市あたり)など。
 三首目「澗川」は「潤川(うるいがわ)」の書き違いでしょう。風景も素晴らしく、潤井川のほとりの茶屋で飲んだ富士の雪酒(白酒)もおいしく、すっかり富士山に酔ってやっと吉原宿(富士市吉原)に着きました。この宿の南側が田子の浦です。(このあたり現在製紙会社の建物が林立しています)広重の吉原を描いた絵は、有名な「左富士」。東海道を上ってきた旅人に、いままで右側に見えていた富士山が、道の曲がり方のせいで一瞬左に見えます。この地には臨済宗の名僧白隠禅師の墓があります。そのそばにかぐや姫(竹採姫)説話を伝える竹採塚もあります。
 吉原宿から三里半余り、原宿(沼津市原)に着きます。目立たない小さな宿場ですが、白隠禅師が生まれた地で、住職を勤めた松蔭寺があり、ここにも禅師の墓があります。境内のすり鉢松も見ものです。吉原から愛鷹山麓に広がる浮嶋が原湿地帯(富士市・沼津市にまたがる)と富士山を左に見ながらの旅は爽快です。鴨長明が著した『東関紀行』でもこのあたりの風景の美しさは絶賛されています。(今は住宅が立て込んで見えにくくなっています)
 名物は吉原宿と同じく白酒・鰻蒲焼など。白酒の酔いがまだ少し残っています。年をとってすっかり酒に弱くなりました。ではまた。

寄稿 八代市 ちくたく凡様