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20.府中宿 安部川
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宿場
東海道五十三次
20.
府中宿 安部川
歌川広重
天保3〜4年(1832〜33)

府中宿の現在の風景

写真 二宮銀次郎様(小田原市)
撮影    1998年秋 

山は賎機山であろうか女三人三様の渡り方(駕篭蓮台.蓮台.肩車)が面白い。渡って来る荷馬が川中で駄々をこね人足が三人掛りで渡ってくる。川人足は寒中でも裸が決りで昔この辺りは砂金が採れた所でもあった.近くの餅屋がきな粉を砂金に見立ててまぶし「安倍川のきな粉餅」と称して売出しそれ が「安倍川餅」の由来と言われている。
文・おーさん様 (三郷市)


目次
静岡県 安倍川川の水量によって川越料金が違うようです。 常時人足が36人おり大名等の通行には250人の人足でした。 冬季。10月下旬から3月5日の期間は板の橋がかけられ、無料で通行できました

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府中宿の見どころ

府中宿の現在の風景

写真・文   ねこ虎様(北びわこ)
撮影     2001/1/31

阿倍川橋傍のあべ川餅、からみもちの店。明治二年府中は不忠に通じるとして、静岡宿に改められた。




当時の川札のねだん

写真・文   ねこ虎様(北びわこ)
撮影     2001/2/11

川越人夫による渡しでは、小型川越えの興津 川、中型川越えの阿倍川、大型川越えの大井 川などが、いずれも代表的な存在であった。
この川越え人夫が人や荷物を渡すのを監督す る所が川会所であった。 両岸に川会所があった。間口六間、奥行四間 半であり、五人ぐらいの裃を着た役人が詰めて いたといわれる。
阿倍川の川越え賃は、脇下から乳通りまでは 一人六十四文、へそ上は五十五文、へそまで は四十八文、へそ下は四十六文、股までは 二十八文、股下は十八文、膝下は十六文で あったといわれている。