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東海道五十三次
19.
江尻宿
三保遠望
歌川広重
天保3〜4年(1832〜33)
江尻宿の現在の風景
写真・文 冬冶様(掛川市)
撮影 2001/1/28
江尻宿は現在の清水市の中心街の中に在る 宿場から清水の港と三保の松原 そして 愛鷹山を遠くに望む図であり、箱根、舞阪
亀山、等と同じく人物は大きく取り上げて いない図柄の一枚で有ろう。
文・おーさん様 (三郷市)
目次
手前の海岸には工場や倉庫等の高い建物が立ち並び、三保の方も、折戸湾に むかって大きく埋立地が造成されて、造船所等の工場が立ち並び、浮世絵に 見られるような美しく清楚な松原は見られない。この画像は日本平パ−クウエイ の中腹から撮った。
江尻宿
の見どころ
折戸湾
写真・文 冬冶(掛川市)様
2001/1/28撮影
江尻宿の標識
写真・文 冬冶(掛川市)様
2001/1/28撮影
遠くに三保の松原が見える。
旧東海道に立つ江尻宿の標識、商店街の歩道の上に。
江尻宿の旧東海道
写真・文 冬冶(掛川市)様
2001/1/28撮影
江尻城跡の石碑
写真・文 冬冶(掛川市)様
2001/1/28撮影
旧東海道、いまは商店街
いまは江尻小学校、その校庭の隅にたっている。
浮世絵の解説:清水湊の町並みの屋根越しに駿河湾に長く突き出た三保の松原を中心に、手前の折戸湾や 向こうの駿河湾に浮かぶ船を多数描き、清水湊の繁栄ぶりをうかがわせる。また遠くには 伊豆の山々もはっきりみえている。
江尻宿: 江尻は巴川の尻、すなわち海にそそぐ所の意味。巴川を旧東海道がわたる稚児橋を中心に宿場町が つづいていた。こんにち、江尻町となっている中町、下町、魚町に本陣、脇本陣があつた。しかし、 当時の宿場町を偲ぶものは、全く残ってなく、賑やかな商店街となっている。 稚児橋はいま工事中で通れなかった。
(
文・冬冶(掛川市)様
)
狂歌で下る東海道五十三次
江尻には(空白)井川や興津苔かうやく売ハ清見寺まへ
薩た山栄螺坪焼荒磯にうつ親しらず子しらずの浪
府中から二里二十五丁、江尻宿(静岡県清水市江尻町)は活気にあふれた町です。諸国からの船の出入りもにぎやかで、巴川は府中との水運をつかさどっています。清水の次郎長はここの出身。梅隠寺には次郎長一家の墓があります。次郎長に大きな影響を与えた山岡鉄舟の墓のある鉄舟寺もあります。名物は追分羊羹・松風せんべい・青海苔など。伝統民芸品「いちろさんのでっころぼう」もあります。狂歌の「(空白)井川」は「天井川」ではないでしょうか。巴川の支流は、山地から平地に出るとき、天井川となるものが多いそうです。
江尻宿から一里余りで興津宿(清水市興津中町)。名所はなんといっても臨済宗の名刹清見寺。家康と深いつながりがある寺です。境内からは清見潟や田子の浦の絶景が一望できます。(現在では開発とやらで、この風景も損なわれています)門前には膏薬を売る店が十軒ほど並んでいます。(これも今はありません)『参府日記』によると松井章之は興津川の「川支(づか)え」に遭い一日延泊。清見寺見物に行っています。
「当寺三代の住持スンプにて拝領の権現様御駕など見せ候、庭石に牛石・虎石など御手配りに御居への石有り、滝有り九曲と言由、泉水有り、清見関の道具有り、弁慶の長刀有り、権現様の御イハイ有り、高氏の木像有り、其外追て控ユ」
興津宿から興津川を渡って次の由比宿へ、薩た峠道を通ります。薩た峠には上道・中道・下道の三つの道があります。上道は峠越え。下道は峠を登らずに海岸を行く道。絶壁と波打ち際の間が狭く、危険で人のことをかえりみる余裕がなく、親知らず、子知らずの道と言われています。わたしは上道を、すばらしい景色を眺めながら行くことにしました。峠を下りた所の倉沢は栄螺の壷焼きが名物。楽しみです。ではまた。
寄稿 八代市 ちくたく凡様