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13.沼津宿 黄昏図
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宿場
東海道五十三次
13.
沼津宿 黄昏図
歌川広重
天保3〜4年(1832〜33)

沼津宿の現在の風景

写真 二宮銀次郎様(小田原市)
撮影  1998年秋

沼津は、狩野川の川口に臨んだ宿場である。この図は、川沿いの道を宿へ急ぐ巡礼の親子と、天狗の面を背にした金毘羅参りの旅人を描き、空には大きな円い月が見え、夕暮れの情景である。月夜の図は、シリーズ中この1枚だけである。

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狩野川の河口で、今では海は、住宅の向こうです。静岡県東部では最大の商業都市で、狩野川が街の中心を流れて居ります。
また、千本松原が有ります、潮の害に難儀している農民を救うため、砂浜に松をー本ずつ植えて、千本松原を造った。






狂歌で下る東海道五十三次


   沼津釜駿河へ伊豆の水をとる千貫樋の茶屋にそば切

 原宿から一里半、千本松原の見事な松林と富士を眺めながら行くと、沼津宿(静岡県沼津市)に着きます。水野氏五万石の城下町、狩野川が城に沿って鍵形に流れています。古くからの港町で、船の出入りも盛んです。当駅浅間町の富士浅間神社には神宝雌雄の鸚鵡石があり、社頭には猿田彦神降石があります。広重の「沼津 黄昏図」の中の、天狗の面をかついでいるのは、金毘羅参りの旅人でしょうが、広重は更にこの地にある猿田彦神降石をも暗示させたのかも知れません。名物は鰹節・干魚・塩など。
 宿場を出てしばらく進み、黄瀬川を渡ります。このあたりで源頼朝と、奥州から駆けつけた義経が対面しました。近くの八幡神社に、そのとき腰掛けたという対面石があります。
 三島宿に近づくと千貫樋が目に止まります。境川に樋を懸け、伊豆の水を駿河に引いた用水路です。三島の楽寿園内の小浜池を水源とし、清水町などを灌漑します。長さ三十九間、深さ一尺五寸、高さ一丈五尺あるそうです(『駿河志料』)。できたのは応仁年間とも、天文年間とも言います。名の由来も千貫の費用がかかったからとか、千貫の田を潤すからとか言われています。(現在てはコンクリート製の樋になっています)
 狂歌の「沼津釜」の「釜」の意味が分かりません。分からないことだらけで「習はざるを伝へしか」と曾子に叱られそうです。こんなときは、蕎麦切を食べるのもあきらめて、早々に旗を巻いて退散することにします。ではまた。

寄稿 八代市 ちくたく凡様