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みえ歴史街道 鈴鹿峠史跡めぐり

 鈴鹿峠 付近の詳細地図
214.沓掛本郷の集落
街道の雰囲気を残している。

(写真 伊勢路様(松阪市)提供)
215.坂下青少年研修センター
坂下地区の資料館が併設されている。
(旧坂下小学校)

(写真 伊勢路様(松阪市)提供)
216.本陣松屋跡石柱
本陣(問屋兼帯)。現在、公民館の車庫。

(写真 伊勢路様(松阪市)提供)
217.大竹屋本陣跡石柱
現在、茶畑

(写真 伊勢路様(松阪市)提供)
218.梅屋本陣跡石柱
現在、茶畑

(写真 伊勢路様(松阪市)提供)
219.法安寺
寺の庫裏の玄関は、本陣松屋
の玄関を移築したもの。

(写真 伊勢路様(松阪市)提供)
220.街道名残の一本松

今は枯れて存在しない。
221小竹屋脇本本陣石柱.


(写真 伊勢路様(松阪市)提供)
222.金蔵院の高い石垣
明治初年に廃寺になった。家康や家光が小休止したといわれる。

(写真 伊勢路様(松阪市)提供)
223.地蔵堂
石垣の下。人の身代わりになってくれるということから、身代わり地蔵と呼ばれている。

(写真 伊勢路様(松阪市)提供)
224.櫛屋の地蔵
三体の石地蔵。古町に祀られていたか゜、明治維新後古町から移された。民家が移転する際、夢のお告げで「わしも一緒につれていってくれ」と言ったという。

(写真 伊勢路様(松阪市)提供)
225.岩屋観音
万治年間(1658〜61)、法安寺の実参和尚が旅人の道中安全を祈って造立したもの。
町指定名勝。高さ18mの巨岩の岩窟に弥陀・観音・勢至の三体の石仏を安置。

(写真 伊勢路様(松阪市)提供)
226.名号碑
宝永7年(1710)建立。自然石に「南無阿弥陀仏」と刻まれている。街道側の林の中。道路が側の小川を越えるところは琴の橋と呼ばれる。
227.御馬屋
片山神社の一角に建っているが、かつてはかなり下の位置にあったように思われる。その礎石らしい石の土台が残っていた。
228.常夜燈4基
昔は、燈籠坂の両側に並んでいた。延享元年(1744)、文化11年(1814)享保2年(1717)、安政6年(1859)のもの。

(写真 伊勢路様(松阪市)提供)
229.燈籠坂
かつては一定の間隔で常夜燈が立っていた。石畳は昭和初期に敷かれたものと言われる。

(写真 伊勢路様(松阪市)提供)

230.常夜燈
文化2年(1805)のもの。片山神社参道入口にある。

(写真 伊勢路様(松阪市)提供)
231.片山神社
明治以前は鈴鹿明神や鈴鹿権現と呼ばれ、室町時代には「鈴鹿姫と申す小社」と書かれた古い神社。秋の紅葉が美しい。

(写真 伊勢路様(松阪市)提供)
232.標石
国道一号を越えた広場にある。県建立のもの。「天然記念物鈴鹿山の鏡肌」と刻まれている。

(写真 伊勢路様(松阪市)提供)
233.馬の水のみ鉢

(写真 伊勢路様(松阪市)提供)
234.鈴鹿山の鏡岩
硅岩でかつては表面が鏡のように輝いていたと言う。鬼の姿見といわれる。県の天然記念物。

(写真 伊勢路様(松阪市)提供)
235.田村神社跡の石柱
杉木立の中に立つ。

(写真 伊勢路様(松阪市)提供)
236.無名の地蔵
街道左側。このあたりには、山崎屋、井筒屋、堺屋、伊勢屋などの6軒の茶屋があった。地蔵が立っているのは鉄屋跡。

(写真 伊勢路様(松阪市)提供)
237.六体地蔵
街道右側。茶畑と杉林の間の道を右へ10mほど入った杉木立の中。

(写真 伊勢路様(松阪市)提供)
238.墓石群
六体地蔵の近く。安政など江戸時代の年号が刻まれている。

(写真 伊勢路様(松阪市)提供)


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