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28.袋井宿 出茶屋ノ図
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宿場
東海道五十三次
28.
袋井宿 出茶屋ノ図
歌川広重
天保3〜4年(1832〜33)

袋井宿の現在の風景

写真・文 冬冶様(掛川市)
撮影    2001/1/14

図は袋井の宿場の風景ではなく、そのはずれの田園風景で、木の下の出茶屋を描いたものである。東海道筋には、この茶店にように、葦簾がけの茶店が諸所にあり、旅人の渇をいやしていた。駕籠舁と飛脚がのんびりと一服している。

目次
写真正面は掛川宿方向、橋の所で右折する道が袋井の宿場町へ向かう旧東海道である。袋井宿はこの天橋から西へ中川橋に至る間で東に掛川宿、西に見付宿 の大きな宿場にはさまれた中継宿場ですが、それでも本陣、問屋場、旅篭が立ち並んで いました。




袋井宿の見どころ


富士浅間宮の赤鳥居

写真 冬冶(掛川市)様
2001/1/14撮影
      この先が袋井宿(掛川宿側から)

写真 冬冶(掛川市)様
2001/1/14撮影
旧東海道は国道1号線の少し南側をほぼ並行してはしっており、広重の行書版等に みられるように、松並木がつつ゛きます。掛川宿からこの松並木街道を西へ進むと 袋井宿の東入り口、天橋に至ります。この街道の途中には歴史的な、八森神社、 富士浅間宮の赤鳥居、久津部の一里塚 等がみられます。     


久津部の一里塚

写真 冬冶(掛川市)様
2001/1/14撮影
      袋井宿の東本陣跡

写真 冬冶(掛川市)様
2001/1/14撮影
東海道60番目の一里塚で、掛川宿から袋井宿の間にあり、 塚の上には松の木が立っていました。家康が諸国街道の1里毎に設け、 街道の左右には松をうえた。近年道路整備等で一里塚は消えてゆきましたが、 久津部村の一里塚は記録が残つており、袋井市が再現しました。 袋井宿の東木戸口、天橋から宿場町の方へ進んでゆくと、 大名、公家等が休泊する東(田代)本陣の大きな門構えの建物があった。壱番 御本陣とも呼ばれ問屋場を兼ねていました。本陣御宿帳が残っており、宿泊と 休憩はほぼ半々でした。今は跡地は整備され、保存されています。