長崎の出島に置かれていたオランダ商館の第149代の館長であったゲスベルト.ヘンミが1798年江戸からの帰途、掛川で死亡したので、天然寺に葬られた。
オランダ商館長は毎年、後には4年に1回、往復3ヶ月の旅をして、長崎から江戸までのぼり、将軍に謁見してご機嫌を伺うことになっていた。
文化2年、1805年、掛川藩主太田資順が作らせた掛川誌稿によると、ヘンミは1798年その年の初め、長崎をたって3月15日将軍家斉に謁見し、4月に帰途についた。4月21日掛川連尺の本陣に投宿したが、病を得て客死した。
死に際して水をほしがったというし、墓誌には渇病とあるから、旅の疲れと日射病だったと想像されるが、詳細は不明である。天然寺にはオランダ語の墓碑銘が建てられた。
オランダ語の碑文には1798年,寛政10年6月8日往生、9日ここに葬るとある。天然寺過去帳には、通達法善居士という仏家の戒名が残っている。
この墓碑は安政9年の大地震で破損したが、オランダ商館から小判50両が寄進されて、立派に修復された。
その後明治維新にいたるまで、毎年2両づつ香花料が寄進され、オランダ貢使が往来の途次には立ち寄り、赤ワインを碑面に注ぎ、1本は寺に贈ったということである。
しかし維新後はまったく荒廃し、青苔深く蒸して弔う人もなくなっていった。大正14年5月、天然寺の住職および発起人の尽力により、町内有志の寄付を募って、墓碑を修理し記念碑が建てられた。その時はオランダ公使も出席して,供養を営んだということである。
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