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40.池鯉鮒宿 首夏馬市
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宿場
東海道五十三次
40.
池鯉鮒宿 首夏馬市
歌川広重
天保3〜4年(1832〜33)

知立の馬市跡

写真・文  夢追人様(千葉市)
撮影    2001/3/16

かつては木綿の集散地であり、その運搬用の馬の市が開かれた。 遠景にその松と人々が、近景に夏草の生えた原に馬のさまざまな姿態が描かれて いる。 

      文・流永様(名古屋市)

目次
現在の馬市の跡は、松並木の南側にあり、馬市の碑がある。松並木は500mほど保存されていて、他の東海道の松並木と違うところは、両側に側道が作られていて、馬市を開くのに便利になっていた。




池鯉鮒(知立)宿の見どころ

知立神社石橋

写真 ねこ虎(北びわこ)様
撮影   2001/2/11

池鯉鮒大明神とも称し、古来三河国第一の名社として知られ、蝮除けのお守りは全国に崇拝者が多く、先祖がここでお守りを買ったことを記録している。(12文)


知立神社多宝塔

写真 ねこ虎(北びわこ)様
撮影   2001/2/11

社伝によれば、850年(嘉祥3)天台宗僧円仁が神宮寺を創立し、多宝塔を建立した。後知立神社の別当寺となった。現存する多宝塔は、1509年(永正6)重原城主山岡忠左衛門が再建した。3間2層の塔であり、正面には浅唐戸を配し、左右には連子窓、他には篏板張りである。屋根は柿葺で塔高は約10mあり、室町時代の建築である。



知立の句碑と歌碑

写真 夢追人(千葉市)様
撮影   2001/3/16

馬市句碑
かきつばた 名に八ッ橋のなつかしく
  蝶つばめ 馬市たてしあととめて

万葉の歌碑
引馬野に
  にほふはりはら 
         いりみだれ
 衣にほわせ たびのしるしに

この辺りの地名を引馬野といい、昔時より万葉集引馬野の跡と伝えられている。
        


知立の松並木

写真 夢追人(千葉市)
撮影  2001/3/16 



知立の松並木

写真 夢追人(千葉市)
撮影  2001/3/16
 
慶長9年(1604)江戸幕府は諸国に対し、五街道へ一里塚と並木を設置することを命じた。この知立の松並木は、幅7mにわたり凡そ170本の松が植えられている。側道を持つのが特徴で、この地で行われた馬市の馬を繋ぐためとも推定されている。
 また、この松並木の西の地名を引馬野と呼び、大宝2年(702)持統天皇が三河行幸の際詠まれた歌「引馬野爾 仁保布榛原 入乱 衣爾保波勢多鼻能 知師爾長忌寸奥麻呂」から、浜松市・宝飯郡御津町とともに天皇行幸の推定地とされている。


現在の池鯉鮒宿の風景

写真・文  流永様(名古屋市)
撮影  2000/12/9
<名鉄・知立駅>
現在の知立(ちりゅう)市。 知立神社の池に、鯉と鮒がいたことで、その名が ついたとのこと。



知立来迎寺一里塚 (旧東海道、江戸より84里)

写真・文  コバ様(豊田市)提供

道路はすっかり近代的に往時の面影はないが一里塚だけは歴史を感じさせてくれます。かきつばたで有名な無量寿寺へはここから車で数分



 

知立(ちりゅう)八橋 無量寿寺

写真・文  コバ様(豊田市)提供

臨済宗妙心寺派に属し、寺伝によれば奈良時代の慶雲元年(704)の創立、 その後、文化9年(1812)方巌売茶(ほうがん ばいさ)翁により再建が行われ、杜若(かきつばた)庭園もこの時完成しました。
 

写真左手句碑は芭蕉連句碑

「かきつばた 我に発句の 思いあり」  芭蕉

「麦穂なみよる 潤ひの里 」 知足


量寿寺のかきつばた

写真・文  コバ様(豊田市)提供

五月初めから中旬が見頃です 


知立神社 

写真・文  コバ様(豊田市)提供


二宮金次郎像と芭蕉句碑(寛政5年建立)

不断堂川 池鯉鮒の宿農 木綿市  「芭蕉」